コーヒーがそうさせてる【Coffee Lover】
松本 にとってのふくしま
視線の先にあったふくしま
2年前の冬、わたしは東京から生まれ育った福島県へ帰ってきた。
「地元に戻るなら地域に貢献する仕事がしたい」と思い、いまは会津地域のまちで地域おこしの仕事をしている。イベントなどに出店しながら、細々と古本屋としても活動をはじめた。
もしUターンしたら地域活性化につながる職業に就きたいと考えていたし、本屋になるのは長年の夢だった。
この暮らしは、福島じゃなかったら叶わなかったと思う。
わたしにとって福島はふるさとであり、いつもやわらかく迎えてくれる場所。このまちがあるから、わたしはどこへでも飛び立っていけたのだろう。
もともと「福島を離れたい」、「都会に行きたい」と考えたことはほとんどなかった。まあまあ便利で、ほどよくお店がある住み慣れたまちが、わたしにはちょうどよかったのだ。
転機となったのは大学進学と就職である。
山形県の大学に入学が決まり、隣県だから自宅から通学できると見積もっていたが、新幹線を使おうと1限目の授業に間に合わない。やむなく地元を離れ、大学の近くへ引越しをすることにした。
いざ、ほかのまちに住んでみると「福島って、やっぱりいいところだなぁ」と感じることが多くなった。
例えば、台風や吹雪にも臆しない飯坂電車。山形市内には私鉄がなく、バスは午後7時台で終わってしまうため、主な移動手段は車だった。通学や遊びに行くときにも電車を使っていたわたしは衝撃を受けた。
キャンパスは山の中腹にあり、そこから徒歩や自転車で市街地へ下山するのはかなりきつい。正直、無謀だ。しかも帰りはずっと坂道を上るはめになる。車を持っていた友人の恩恵は計り知れない。
たたん、たたん、とホームに滑り込んでくる青いラインの車両、どんなに揺れが激しくても絶対に転ばない車掌さん、信夫山近くにさしかかったときに車窓から見える町並み。
山形に行ったら飯坂電車が恋しくなって、帰省すると必ず乗るようになった。現在の車両はデザインが変わりさみしく思っていたが、曽根田駅でかつての飯坂電車に再会できたのは本当にうれしかった。
そして大学を卒業した後は東京から福島を見つめることになる。全国に支社を持つ企業に就職したら、配属先は予想外の関東、しかも都内。慌ててアパートを探し、高揚と不安の入り混じった都会生活がはじまった。
ひともものも、あふれかえるほど集まった東京での暮らしは刺激的で、そこにいたからできた体験がたくさんあった。東京はそれぞれに発展したまちが密集している。大通りや路地裏、商店街を歩きながら、それぞれのまちの表情を見比べるのが休日のたのしみになっていた。
上京してしばらく経ち、同じく福島出身の友人と都内のカフェでお互いの近況を話していたときのこと。
「最近、一番わくわくしたことってなに?」と聞かれたことがある。
「東京駅のホームで福島行の新幹線を待っているとき」
少しだけ考えて、そう答えた。新幹線で福島駅到着のアナウンスが流れるころに通過する、赤と緑のスーパーの看板にだってこころが弾む。
なんだかんだいっても、わたしが好きなまちは福島で、安心して寄りかかれる場所はそこだけなのだ。
東京は仮住まいというか、「出稼ぎに来ています」という感覚が常にあった。いろいろな選択肢が多い反面、圧迫されて息苦しいとも思っていた。よいものも、そうではないものもつめこまれて、パンパンになった袋のなかから「これ」と感じるなにかを選ぶのは骨が折れる。
身の回りにものや情報が潤沢にある暮らしは、豊かなのだろうか。
ほどほどに風通しのいい福島は呼吸する隙間を与えてくれる。何色にも染まっていない空気を吸って、わたしは自分自身を維持している。この空白ともいえる余白は、こころに安らぎをうむものだったのだと東京砂漠でもがいて気がついた。
ほうほうのていで東京を飛び出し、わたしは福島へ帰ってきた。こんなかたちで戻るつもりはなくて、故郷に錦を飾りたかった。不甲斐なさと安堵でぐずぐずだったけれど、このまちは顔色一つ変えずに受け入れてくれた。つっぱねたり傷をなめたりせず、ただ隣にいてくれる。
そうそう、これだよ。
この感じが、わたしにはここちよい。
最近、福島にはあたらしい風がふいている。文化通りやその周辺を中心にお店が増えた。イベントも盛んになってきて、ちいさな台風の目がそこかしこにあるようだ。
凪いでいた福島が変わりはじめている。まちを歩いてみると昔よりあか抜けていて、にぎやかな声がよく聞こえるようになった。
まちの代謝を感じるたび、「どんな福島になっていくのだろう」というたのしみが濃く強くなっていく。
今度は内側から、変わってゆくふるさとを見つめたい。そして、つくりかけの錦は福島で糸を紡ぎ、織りだしていこうと思う。
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