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HUMAN

セレクトショップ「kawl.」/ 鈴木翔太郎

自分のやりたいことを形に、仕事にしている大人が福島にもたくさんいる。

「HUMAN」では、そんな大人たちの今日までのストーリーを紐解いていく企画です。

5人目は、鈴木翔太郎さん。

今年でオープン5周年を迎えたセレクトショップ「kawl.(カウル)」。意外と知られない店主・鈴木翔太郎さんのことやkawl.オープンまでのストーリーとこれからについて聞きました。

鈴木翔太郎さんを知る

自己紹介をお願いします。

飯坂街道沿いでセレクトショップ「kawl.(カウル)」の店主をしています。鈴木翔太郎(しょうたろう)です。1989年3月3日生まれ、34歳です。趣味はキャンプと釣りです。

出身はどちらですか?

伊達市です。中3の時、市内に引っ越してきてから大学入学までは市内から高校まで通っていました。

幼少期はどんな子どもでしたか?

小5から高校まではずっと野球をやっていたのでスポーツ少年という感じですかね。

野球をはじめたきっかけはありますか?

父親にプロ野球に連れていってもらったりしたのがきっかけかな?小さいときは割とゲーマーでインドア派でした。「嫌いな教科、体育です」みたいな感じ。だけど、小5の時にこのままじゃダメだなと子どもながらに思って。(笑)その時にタイミングよくスポーツ少年団の募集チラシをみて入団しました。そのままどっぷりって感じかな。

高校は、YOUNiiiiQのごしまと同じ福島商業高校と聞きました。商業高校に進学した理由はありますか?

野球ですね。県北地区、県立高校で野球の強い高校となったときに挙がってきたのが商業高校でした。父親も商業高校出身だったので、話を聞いて自然な流れで選択していました。

どんな高校生でしたか?

朝から晩まで野球漬け・・・坊主だったし、興味はあるけど洒落っ気はなかったですね。バイトもしてなかったからお金もなくて、野球部なりのおしゃれをしていたなーって感じでした。

少し話がずれてしまいますが、今の高校生って皆おしゃれだと思いませんか?

自転車とかもすごいの乗っているよね(笑)スマホの影響だろうなって思います。都会の最先端のファッションが手軽に手を出せるようになっているから、僕たちの時代と比べると雰囲気ができあがっている。

自分たちが高校生の時にもスマホがあればよかったなって思うことはありますか?

いやー、ないかな。自分たちの時は、情報は足でかせぐって感じでした。店に行って、店の人の生き様や話を聞いて、リスペクトして、いまの自分がつくられていったと思います。いまはウェブもSNSも発展して、誰でも何にでも影響を受けてしまうからか、すべての幅が広くなってしまって個性がないようにも見える。良くも悪くもね。

確かに。スマホの影響は良くも悪くもありますよね。質問を戻します。高校生の時、夢はありましたか?

一応、野球の監督・教員志望でしたね。高3の卒業間際までは、本当に将来の夢がなかったです。それくらい野球漬けでした。そんな自分に当時の担任が就職するよりも自分の学力で行けて教員を目指すことができる大学に行くことを進めてくれました。

あと、当時「ルーキーズ」のドラマが流行っていた影響もあるかもしれないです。こんな青春いいな、こんな青春を自分もやれたらいいなって安直かもしれないけど思ってました(笑)

高校生の時は、いまとは違う将来を思い描いていたのですね。当時を振り返ってみて思うことはありますか?

えーどうだろうな。紆余曲折はあったけど、結果的にいま楽しめているからいいかなって思う。

当時、固い道を選んでいたとしても、どこかでいまの道に進み直していたと思うから。当時どんな道を選んでいても未来(いま)は変わっていない気がします。

大学中退、大きな転機

進学した大学はどちらですか?

石巻専修大学です。進学と同時に親元を離れ一人暮らしをはじめました。

大学時代の話を始めたばかりですが、事前の質問で大学を中退していると聞きしました。理由を聞かせていただけますか?

もちろん。中退したのは大学2年の夏でした。理由は、なんとなく進学してしまったことが大きいかな。そのせいで、大学に入ってからは友達と遊ぶことやバイトをすることに時間を費やすようになってしまいました。ほしい服があったりすると、夜遅くまでバイトを頑張るようになっていて。

結果、学業がおろそかになってしまって、単位が取れなくなり、最後は親に頭を下げて中退をする決断をしました。

中退ではなく留年という選択肢もあったと思いますが、中退することを決断した理由はありますか?

細かい要素がたくさんあるけど。結果、この時に洋服屋をやりたいと決断したからかな。洋服屋をやるのであれば、大学卒業というキャリアは必要ないなと思って。だったら早めに地元へ戻ってでも、そこを目指せるような仕事に就こうと思いました。

どのタイミングで洋服屋になろうと思ったのですか?

決めたのは大学を辞めると決めた時だけど、きっかけはサークルの先輩に連れて行ってもらったセレクトショップで受けた刺激かな。そこの店は18歳そこそこの若造が入れるような店ではなかったのだけど、運よく店に入った時に「洋服の世界ってすげぇ、かっけぇ・・・」って思った。まあ、モテたかったっていうのも本音(笑)

憧れから自分でやろうと決断できた理由はありますか?

その時に連れて行ってもらったセレクトショップは、仙台のセレクトショップで。そこの店員さんから受けた影響が大きいかな。その人と出会ってから洋服屋ってただ洋服を売るだけじゃなくて、人と話す仕事だと学んだ。服の魅力を伝えるのは当たる前で、専門店だからこそ伝えられることがあって、伝えなければいけないこともある。その雰囲気がすごく魅力的で居心地がよかった。自分もこんな空間をつくりたいなって思ったからかな。

仙台のセレクトショップで受けた刺激が翔太郎さんのはじまりとも言えるのですね。中退した後の経歴は?

中退後、福島に帰ってきました。でも、20歳そこそこの若造がいきなり独立できるわけもなかったし、服屋の接客もしたことがなかったので、最初は大手のユニクロでアルバイトから始めることにしました。いまだからこそいえるけど、その選択はすごく正解だったと思います。

正解だと思う理由は?

接客、レジ、品出し、補正(ミシン)と、洋服屋をやるのに必要な経験をひと通りすることができた。そして、とにかく忙しくて様々なひとが来ていたから視野を広げることができた。仕事としてもそうだし、ユニクロがマスなお客さんがくる店だったから平均点を知れたのも良かった。この服を買う人はこんな人。そんな感覚も身に付けることができました。

翔太郎さんのアパレル人生はユニクロがスタートしたのですね。セカンドストリートでも働いていたと聞いたことがあったのですがそれはいつから?

ユニクロで働いているのは楽しかった。でも、このまま続けていても作業員にしかなれないと思ってしまって。今後、自分で店をやるとしたら経営のノウハウや世の中の洋服の知識を身に付ける必要があるなと考えている時に、福島松山店のセカンドストリートができることを知って。セカストならいろいろな服を見ることができて勉強もできるなと思ったのでユニクロと掛け持ちで働き始めることにしました。

え、掛け持ちですか?

そう。朝はユニクロ、夜はセカストで一日中洋服屋に囲まれる生活をしていました。休みの調整が下手過ぎて、30連勤することもあったね(笑)どっちも休みを取ればいいのだけど、気が付いたらどっちかは仕事が入っている状況でした。でも、セカストで働くのがすごく楽しかったから全然苦ではなかったです。

セカストで働く楽しいは、ユニクロの時とは違う楽しいですか?

違う楽しいだね。セカストで働いて、自分がいかに井の中の蛙だったか知ることができた。「洋服の世界って、こんなに広いの?」って。今でこそ、ネットで情報が簡単に手に入るけど当時は知らないことの方が多かった。だから、知らなかったことを知れる環境は楽しくて仕方なかった。

ユニクロとセカストの違う点はどこですか?

とにかくジャンル数と服の量が違う。セカストでは、服の陳列をするときに出す側の知識がないとできなかった。これはこれと同じエリアだな、この服が好きな人はこの服も買うだろうなって考えながら陳列する必要があった。そのためにブランドを調べるところからはじまって、このセレクトショップにはこのブランドの取り扱いもあるから近くでいいな・・・とかね。この柔軟さとうまく陳列できた時の成功体験をセカストでできたのはとても大きかったです

いまの話を聞くと、セカストで働くのってすごく大変そうですね・・・。セカストではどのくらい働いていましたか?

7年かな。掛け持ちからはじめて、2-3カ月後には店長から「お前なら1本でやっていける」と背中を押してもらって社員になることを決意し、それからはセカスト1本に絞りました。

それから、福島・松山店1年、仙台1年、盛岡半年、また仙台の新店オープン時に店長として呼ばれて2年半、最後は福島・松山店に戻ってきて2年働きました。その後、東京移動の辞令が出たタイミングで自分の人生設計が具体的になってきたので辞めることにしました。

かなり長い期間、多くの地域と店舗を周って勤めてきたと思いますが、セカストで働いていて一番よかったなと思うことはありますか?

店長として働いたことかな。相当いまの糧になっていると思う。セカストの店長は経営者に近くて、服の買取りと販売をするだけでなく、買取りは決まった量が毎日入ってくるわけではないから、買取りと販売の舵を取りながら、店に置ける商品数から利益率はどうするのか、利用客の年代は?なども考えて店全体にみていなければいけなかった。

kawl.オープンまでのストーリー

独立を決めたきっかけは?

29歳で福島に帰ってきて、2年間福島・松山店で店長をしている時にいまの奥さんと出会いました。元々独立願望はあったけど、その時は結婚も考えていて。結婚するタイミングで「自分で店をやります」なんて言ったら愛想つかされるだろうな~と思っていたんだけど、奥さんが応援してくれると言ってくれたので独立を踏み切ることができました。19歳で福島に帰ってきた時に30歳までに自分で店をやりたいなと漠然と考えていて気が付いたら自分も30歳手前になっていたからタイミング的にも良かった。

オープンまでの準備期間はあったのですか?

全然なかったです。独立は目標だったけど、結果的に決めたのは東京の移動を言い渡されたタイミングだったから。2月に辞令が出て、そこでなにも考えずに「無理です」って断って(笑)それから自分で店をやると決めたから。3月に辞めて5月まで有給消化をして、オープンしたのは8月でした。

すごいスピード感ですね(笑)

でも、自信はあった。それくらいセカストで経営のノウハウは勉強させてもらったから。根拠のない自信だったけどね。5カ月でコンセプト、内装、お金のこと全部を走りながらやった。自分でも本当によくやったと思うよ。

その5カ月はどんな5カ月でしたか?

意外と忙しいって感じではなかったかな(笑)でも、生々しい話お金を借りられるかどうかは第一関門だったね。借りることができる前提で動いていたから、これで借りられなかったらすべてが止まるっていう不安はあった。

kawl.について、深堀をする

店名の由来を聞かせてください

「kawl.」は「買う」と「売る」の造語で。消費行動のなかでは買うと売るというのは表裏一体にあると思ってこの名前にしました。いまではやっていないけど、最初はセカストで学んだノウハウを生かして「古着の買取り専門店」としてやっていたのもあります。

あとは、A BATHING APEアベイシングエイプ)というブランド名の由来が、ブランド一覧でみた時に「A」と「あ」で一番に出るからという策士的理由があるっていう話がすごく好きで。自分もGoogle検索で自分の店だけが出るようにしたいと考えた時に、候補のなかにあった「kawl.(カウル)」が一番気に入ったのも理由のひとつです。

買取りもやっていたのですか?それははじめて知りました。

実はね。でも、そこについても自分のなかで紆余曲折はあって。1年半くらいやってみて自分の世界観をつくる上で辞めることにした。

kawl.のコンセプトと翔太郎さんのこだわりについて教えてください

改めて聞かれると難しいね(笑)なんとなくだけど、福島ってネガティブな人が大きい気がしていて。自己肯定感も低い人が多いなって思う。これはまちにも原因があると思っていて、「どうせ福島だから」、「福島なんて」と考えてしまっている人が多くておしゃれをしたって仕方がない、みたいな感じの人もまだまだいるんじゃないかと思う。そこをそうじゃなくて、福島でもかっこいい服を着ていい!そんな風に思ってもらえる店をつくりたいとは思っているかな。先輩方もたくさんいるけど、先輩方とはまた違ったアプローチができればいいなって思っています。

「福島だから」という考え、確かにありますよね。先輩方とは違ったアプローチとは?

福島でビジネスをしていてこんなことをいうのもなんだけど、「東京っぽいよね」っていう雰囲気をつくることを大切にしている。

「東京っぽい」 空間をつくるために取り入れていることはありますか?

んー、これは全体の話かつ感覚的な話になってしまうけど。感度の高い人には共通項があると思っていて。自分でもいろんな店にいってみて、これいいなって思うことはすぐに盗んで実店舗に落とし込むようにはしているかな。なにを、っていうと難しいけどね。

そのうえで妥協はしないようにしているかな。例えば、東京で3万円するデザインのシャツ売っていて、それに似た別なパターンのものが1万円であったとしても、1万円の商品を売るのではなく、3万円の商品が1万円の商品よりもどれだけ価値があるのかを説明するようにする。とかね。もちろん金額だけではないよ。でも、それが伝わる一部の人を増やすためには大切なことだと思っている。

実際に5年間やってみて、理想とする空間づくりはできていますか?

ようやくって感じかな。鈴木翔太郎っていう人間を知ってもらえるようになって、信じてもらえるようになってきて少しずつ理想的な空間になってきていると思います。

5年間の積み重ねがあって、いまのkawl.があるんですね。YOUNiiiiQの読者のなかには将来独立を考えている人がいると思います。独立について教えてください。

それを苦労と捉えるのかやりがいと捉えるのかはその人の性格次第なところがあるけど、全責任が自分にあることが独立だと思う。誰もケツ拭いてくれないし、誰も褒めてはくれないからね。だから自分で自分を奮い起こすしかなくって、そうしないとどうにもこうにも舵を切れないから、誰かにケツを叩かれないと動けないような人には難しい世界なのかなと思う。

翔太郎さんが自分を奮い立たせるために意識していることはありますか?

人に頼ることとアウトプットすることかな。なるべく外に足を運ぶことで、同じような意識を持った人と出会うことができるし、そこで刺激ももらえるから明日から頑張ろうという気持ちにもなれる。

独立してよかったことはありますか?

知り合いが増えて、いいつながりができたことかな。他業種のつながりにはなってしまうのだけど、独立したことによって自分みたいな人間をたくさんの人に知ってもらえたのが本当にうれしい。

今後について

今後の目標を教えてください。

今後の販路拡大とともに、地域と密接な形で他事業にも目を向けていきたいと考えています。

他業種ですか?

いま、農業をやろうと考えているんだ(笑)

農業ですか??

農地を持っている親戚の跡取りがいなくて、親戚が引退してしまったら農地は潰すか売るかになると聞いて、それはもったいないから自分がやろうかなって。

農業のノウハウとかはあるんですか?

ない(笑)だから二足のわらじになると思う。でも、面白いかなと思って。朝に農業やって、昼から店を開けて。

では、本当に1からって感じですね

でも、親戚がやっていることだから学ぶ環境は整っている。そんな甘いものではないとわかっているけどね。下積みからはじめないといけないと思う。ただ、じっとしていられなくなっていて。ありふれている世の中だからこそ、掛け合わせるのは面白いと思う。逆立ちしてもかなわないような、その道のプロがいるのは知っているけど、掛け合わせることで新しいジャンルをつくるのもありじゃないって。

いままでは、アパレルとか洋服に固執してきたけど、もっと考え方を柔軟にすればアパレルにもきっといい影響が生まれる気がしている。

農業を掛け合わせた先のビジョンってあったりするのですか?

まだない(笑)かなり感覚的なところで始めようとしているからね。でも、結構本気。50歳の自分が説得力のある人間になりたいと思っていて。そのために多くの知見を手に入れたいんだ。大げさかもしれないけど、社会貢献とか地域貢献ってところにも目を向けていきたいと考えている。

農業をはじめてやってみたいことはありますか?

観光地にしたいよね。人をそこに呼べるようにしたい。飲食も絡めて、イベントやったりね。

誰も予想もしない今後についてでびっくりしました。でも、翔太郎さんらしいですね(笑)

そうだね。自分も変化していかないといけないタイミングだと思う。自分の世界観とか価値観を広げていきたいね。

kawl.としての目標とかはあったりしますか?

これ!っていうのは特にないけど、今年で5周年を迎えてひとつの区切りだと思っている。だからこそ、さっきの話じゃないけど、自分が変化することで店の方向性の舵取りにもつながってくると思っています。服が好きなのも、今後も服屋としてやっていくのも変わらない。そのうえで新しい変化を付けることで、お客さんに還元できるようにしたいです。

YOUNiiiiQの読者にひと言お願いします

「計画性よりも、とりあえず動いてみること」

自分がそうだった、だけかもしれないけど。ここまで計画性を持ってきたわけじゃない。結果的に、俺はいまがすごく幸せではあるんだけど。

少しでも、自分が興味があって、やりたいことがあるのであれば、それは積極的に自分から動くべきだと思う。その先にあるものは、もちろんお金持ちになることだけではなくて、精神的に幸せになれるだけでも俺はいいと思っている。だから、臆せず、時間を使ってチャレンジしてほしいし。そして、チャレンジできる人が増えれば福島も変わっていくと思う。

●私にできること

洋服のことはもちろん、どこに飲みに行けばいいですか?とか。コーヒーはどこがおいしいですか?みたいに気軽になんでも聞いてほしいです。福島の兄貴分みたいな存在になりたいですね。

プロフィール

名前鈴木翔太郎
生年月日1989年3月3日
出身福島県伊達市
趣味キャンプ、釣り
経歴福島商業高校→石巻専修高校(中退)→ユニクロ→セカンドストリート→kawl.(←現在)

INFORMATION

kawl.

住所: 福島県福島市森合字丹波谷地9-4
営業時間:12:00-18:00
定休日:水曜日

CATEGORY
HUMAN
HASHTAGS
kawl.カウルセレクトショップ

WRITER

伊藤愉快の写真

伊藤愉快

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