時を越えた 蝶鮫月
脳みそを雑巾のようにしぼるような感覚に陥るくらい、
私は頭を悩ませた。
『私にとってのふくしま』
なんて難しいお題なんだろう。
考えれば考えるほど時間だけが過ぎていく。
「記事を書いていただけませんか?」
そうお話をいただいてから、初めて、
“ふくしま”について考えた。
「福島。ふくしま。フクシマ。何があるかな。うーん…。
桃、円盤餃子、ラーメン、いかにんじん…..あっ!
『食べ物が美味しい!』
……うーん。確かに美味しいけど何か違う。
『自然豊か!』
……うーん、アバウト。どれもしっくりこない。」
数日はこうして、
仕事中も、ごはんを食べている時も、
お風呂に入っている時も、眠りにつくまでも、
心の中で自問自答を繰り返し、
“ふくしま”でゲシュタルト崩壊が起きる前に、一旦考えることをやめた。
そしてやっぱり思う。
「何もないな。」
考えるのを諦めて数日が経った頃、
「諦めたところで納期が延びるわけではないしな」と焦りを覚え始め、
仕事終わりにとりあえずボーッと町を徘徊している時、新しい疑問が生まれた。
「そういえば、何もないのになんで26年間1歩も出ずに福島で暮らしてこれたんだろう。」
「何もないのになんだかんだ福島が好きな私は何故だろう。」
そう自問しているうちに、
「”何もないから”いいんじゃないか?」
なんて思い始めていた。
少しヤケになっているように聞こえる。
実際そうだったかもしれない。
でも、
『何もないからいい』
この考えが自分にとっては一番しっくりきた。
言葉って難しいもので、
「何もないのがいい」わけではない。
「何もないから」いい。
“何もない”から、散歩中にたまたま見つけたお洒落なカフェや可愛らしい佇まいの雑貨屋さんに一喜する。
“何もない”から、ちょっとした催し物や新しい物事に一層ワクワクする。
“何もない”から、人と人とが互いを支え合うことを大切にする。
“何もない”から、 「何もないから」と、福島をより良くしていくために行動している方々に感化され、また新たに行動する人達が増えていく。
何もないからこそ、嬉しい気持ちや、ワクワクする気持ちをより大きなものにしてくれる。
探せば探すほど、知れば知るほど、ワクワクさせてくれるこの町が、福島に暮らす理由であり、福島を好きな理由。
そして、『私にとってのふくしま』は、
宝探しゲームのようなそんな町。