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盛内結衣 にとってのふくしま

私がふくしまとの繋がりを持ったのは、社会人1年目の頃。当時の恋人が、たまたま福島配属になったからだ。

当時は「へー、福島かー」くらいにしか思っていなかった。仙台と福島、往復きっぷで1540円。めちゃくちゃ安いなーなんて思いながら、福島まで向かう。

福島には、スーパーと1時間に1本の電車があった。「無駄がない」という表現が正しいのか分からないが、私にはしっくりきた。

はじめて福島市に滞在した私は、ふくしまっていいところだなー。となんとなく満足していた。

普段住んでいる仙台は、いわゆる「なんでも揃う」地域。生まれてから故郷を出たことはなかったけど、特に不自由を感じることもなかった。

職場は、自宅の最寄駅から電車で12分くらいの場所にある。通勤時間はそこそこ短いほうだろう。ただ、仙台に向かう人数に対して、電車の本数があまりにも少ない。

朝は6分に1本くらいの頻度で電車が来る。でも、それでも足りない。

定刻になり、電車がやってくる。ドアが開いても、なかなか足を踏み入れる気になれない。というか、もう入る隙間なんかないって誰が見ても分かる。それでも、パンパンに人が敷き詰められた箱の中に、自ら体を押し込まなければならない。じゃないと会社に行けないから。

目の前にはスーツ姿の背中がある。息をまともに吸いたくもない。12分間は目を閉じ、せめてもの抵抗で好きな音楽を聴く。ここは自分だけの空間。だから大丈夫。と。

仙台駅で降りると、まっすぐ歩けない道を、目的地を目掛けてひたすらに這いつくばう。

やたらとそびえ立つビジネスビルに、どんどん人が吸い込まれていく。それでも早歩きのビジネスマンが減らないのは不思議。

そして自分も疲れたサラリーマンと同じように、ビルの23階に吸い込まれた。フロアの扉を開けた瞬間から、私の戦いは始まる。

いつしか私は「全てから逃げるため」にふくしまに来ていた。

ふくしまには仙台ほどの人はいなかった。高層ビルも、夜遅くまで営業している飲屋街も、どこにあるのか分からなかった。

でも。

そんなのなくていい。

だからこそ、ふくしまは良かった。

私にとっていらないものはとことんなくて、欲しいものはすべてある。

ふくしまには、映画館と図書館と居酒屋さんがある。

自然や食べ物がある。

そして、大好きな人がいる。

ふくしまの友達に、素敵なカフェを教えてもらった。美味しい居酒屋を教えてもらった。仙台よりも安く映画を見れるフォーラムを教えてもらった。銀杏並木の下で行われるイベントを教えてもらった。

美味しいパスタのお店と、チョコレートのお店は自分で見つけた。自転車でふらふら散歩しながら、素敵なお店を探す。それが私の楽しみだった。

散歩中、息を大きく吸うと、たくさんの空気が体の中に入ってくる。不純物が混じっていないそれは体の中を駆け巡った。まるで、私の中にこびりついた息苦しさを、外に追い出してくれるように。

ふくしまに来ているときだけは、信じられないほど自分らしくいられた。流れる時間が平穏で。いつも私が戦っている世界って、もしかしたら存在しないのでは?と錯覚するほど。

社会人として生き抜くために、どう考えても必要な空間。そんな場所に出会わせてくれた、全ての事象に感謝が込み上げる。

それから、なんやかんやあって独立した。満員電車に揺られることもなくなった。

そして、仙台に家を買った。立地がよく、最寄り駅まで徒歩5分。やっぱり不便なことは一つもない。

それでも私の居場所はふくしまにあった。大好きな人たちの温かい笑顔と空間。それに勝るものに、未だ出会えていない。

私にとってふくしまは、思い出すとホッとする存在だ。いつでも温かく「おかえり」と受け入れてくれる。ここに行けば大丈夫。ありのままの私になれる。いわば、故郷なのだ。

お気に入りのお散歩スポット「阿武隈川」
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何ものにも縛られず一生自由に生きていく人

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