かんだ りかこ にとってのふくしま 画像
LIFESTYLE

かんだ りかこ にとってのふくしま

“マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや”

まずは自己紹介

はじめまして。かんだ りかこです。元気でお過ごしでしょうか。読んでくださっているあなたは、福島の方でしょうか。それとも遠く離れた、どこか福島ではない場所でしょうか。

これから私にとっての福島を描いていこうと思うのですが、最初に自己紹介してもいいですか?

私は福島県の新潟寄りにある会津地方、会津若松市で生まれました。確か、会津中央病院だった気がします。ちなみに、父方は新潟から移住、母方は元々会津の人間です。

小学校時代は父の仕事による転勤のため、神奈川県の相模原市というところに住んでいました。当時初めての転校でビビり散らかしていましたが、最初に訛っていることをいじられたのち、めちゃくちゃいい学校だということがわかり、幸せな小学校生活でした。今でもその時の友達が心の友です。

そして小学校の終わりくらい(めちゃくちゃ中途半端な時期笑)に会津へ戻り、中高は会津で暮らしていました。当時も今も、寒いのが苦手なのですが、記憶は「寒い」っていうことだけです。でも、雪国の美しさは今になってわかる自分もいたりします。

今の仕事について

福島にずっといるわけではなく、大学進学のために再び関東、東京へ。そこから大学卒業後ずっと東京で働いて、福島より東京での暮らしの方が長くなりました。今は出版社でWEBメディアの編集者と“取材者”っていう形で動いています。ちなみに“記者”じゃなくて“取材者”っていうのは私の個人的な呼称です。ある人や、会社や、いろんなことを必要な誰かに届けることができるこの仕事、とっても気に入ってます。

仕事として取り組んでいるのは新聞社勤務を含めて5年くらいになります。まだまだ、未熟なのですがワクワクする仕事なのでとっても好きです。あなたは、最高に好きな自分の仕事、あったりしますか?あれば今度取材させてくださると嬉しいです。

突然届いたDM

大学から東京で働き暮らしてきた私にとって“福島”はその間、遠く、たまにしか足を運ばない故郷でした。そこにあまり思い入れはありませんでした。なぜなら、いい思い出がほとんどなかったから。だって寒いし、実はいじめもあったし。閉塞的だったから。

こんなこといったら、なんか悲しいやつ、みたいに思われるかもしれませんが。実際そうで会津を出ました。もう、戻りたくはないと。

「会津に明日きませんか?面白い人たちを紹介します」

ある日突然、インスタにDMが届いたんです。これはめちゃくちゃ要約した文章なのですが、実際はもっと長く、詳細に、丁寧に書かれた手紙のようなDMでした。人柄が文章に出ていたので、信用できる人だなって思って。その人は故郷会津若松の先輩だったんです。

すぐに次の日の土曜日、会津に帰省して、その先輩と面白い方お三方とお会いして。

ちょっと危険ですよね笑 でも、そのご縁が今も続いて、ありがたいことにそこからずっと、いろんな機会で福島に関わることができています。その度に、福島の自然や人、出会いに心が救われたり、嬉しさを感じてきました。

もう、福島は私にとって“遠い”故郷ではなくなった。

今私は、同郷の小川くんと「神田小川堂」というユニットを組んで、福島のいろんなところにワクワクとカルチャーを届ける活動をしています。

私は本を軸に。小川くんはコーヒーを軸に。それぞれの持ち味で、福島の至る所のイベントに顔を出していきたいなと構想しています。

会津には映画館や、小さな本屋さんがありません。“いい街にはいい本屋がある”これは私個人の意見ですが、大きな本屋さんにはない、素敵な本が日本にはたくさんあります。そんな小さくとも大きな価値を、地域に届けていきたい、そんな思いがあるんです。

カルチャーは、人と街を作ります。それが根ざしていかなければ人のつながりも醸成されにくい。地域の一人ひとりが、その街のカルチャーを作る大切な一人なので、その人に新しい価値を見てもらいたいと思っています。

でも冒頭の詩。

“マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや”

寺山修司の詩です。身を捨てるほどの祖国があるだろうか。という話になるのですが、故郷についてもそれは当てはまると思っています。

この寺山修司の詩の背景には戦争があります。身を捨ててまで、祖国に貢献するのか?

これに現在の私を当てはめてみると、“身”は“仕事”になります。少し極端ですが、そんな感じ。「故郷とはなんなのか」すなわち私にとっての「福島」はなんなのだろうと、実は今も考え続けています。

東京での大好きな仕事を捨ててまで、故郷に帰る必要があるのだろうか、と。

これからも、悩み考えながら、福島と東京を行き来していくと思います。そんな私の行動は、もしかしたら都心と地域の循環を生み出すかもしれないと考えて。そのために、「神田小川堂」の活動も続けていきます。

”かんだ りかこ”にとっての福島は、なんなのか。まだまだ答えが出ないけれどひとつ間違いなくいえるとすれば、私にとって、本当に大切と思える人たちがいる場所であること。これからも、福島に”大切な人たち”を増やしていきたいです。

CATEGORY
LIFESTYLE
HASHTAGS
福島私にとってのふくしま

WRITER

神田里佳子の写真

神田里佳子

会津若松出身。「神田小川堂」という共同ユニットを展開。

LET ME KNOW

おすすめ記事