第2話 近所の銭湯
皆にとって、まちの食堂はどんな存在ですか?
令和5年3月13日、厚生労働省がマスクの着用は個人の主体的な考え方を主張すると発表した。新型コロナウイルスの流行から、もうすぐ3年を迎えようとしている。
3年・・・長かったなあ。
マスクを外せるようになったからなのかな。
最近は、夜の街に賑わいが戻り始めているような気がする。マスクを外せるようになって、今まで押さえつけられていた心のフタも、少しは外せるようになったのかもしれない。
コロナは、僕たちの生活をガラッと変えてしまった。これは、「3.11企画」でも話したけど「コロナ禍で生まれたのは、物理的距離よりも心の距離」
そして、ガラッと変わってしまった生活の中でも、大きな影響を受けたのが飲食店だった。
コロナ禍で生まれた言葉・悩まされた言葉 「自粛」・「ソーシャルディスタンス」・「まん延防止等重点措置」
人々の行動を制限する呼びかけからはじまり、少しずつ飲食店に足を運ぶ人が減った。気が付いたら店にはパーテーションが置かれ、店員はフェイスシールドを付けるようになった。席数が減らされ、店内にはお客さんが疎らに座るようになった。
人と(の)ご飯を食べに来ているはずが目の前に広がる異様な光景と謎の距離。
コロナ禍で閉店を余儀なくされた店舗がいくつあったのだろうか・・・
でも、先が見えなかった「目に見えない恐怖に怯える期間」もようやく終わろうとしている。
まちから消え始めている食堂
改めて、皆にとって「まちの食堂」はどんな存在なのだろうか?
幼少期から通っていれば、いわば「お袋の味」みたいな人もいるだろう。
学生から通っていれば「青春の味」、社会人であれば「仕事への活力」みたいな感じかな?
ひとりひとり、まちの食堂の在り方は違うだろうけど、僕は最近「まちの食堂」はそのまちの人たちを一番身近に見守ってきた”場”なのだろうな、と思うようになった。
誰かが言っていた「まちの食堂の賑わいは、そのまちの賑わいを象徴している」
最近、街中から飲食店や食堂が閉店する(した)という話をよく聞く。実際に、昔ながらのまちの食堂が姿を消していたり、閉店を危惧されているという話もある。駅前の居酒屋チェーン店もいくつか撤退してしまって、駅前通りはかなり閑散とした風景になってしまった。
閉店の理由は、各媒体をみていると様々。店主の高齢化や跡継ぎ問題、物価の高騰やコロナの影響による経営苦難など。
どんな理由があろうと、やっぱり寂しい。
でも、震災やコロナ、世の中の不況と今日まで店を続けるだけでもすごく大変で、すごく悩まされることもあったと思う。
そんな中、今日まで、まちの人の成長を見守ってくれていた「食堂の皆さん」に感謝を伝えたいです。
ありがとう
なぜ、まちの食堂が消えてしまうのか?
「まちの食堂の賑わいは、そのまちの賑わいを象徴している」
福島のまちから食堂が消えてしまうということは・・・?
そんな事態は、あまり考えたくない。
でも、なぜそんな事態が危惧されてしまうのだろうか?福島に賑わいが足りないから?
色々、考えている時に、あるバーの店主の言葉を思い出しました。
「すごく良いお店なのにどうしてやめちゃうの?」
バー経営者として言わせていただきますと、お店を閉める理由はただひとつです。お店にお客さまが来なくなって、売り上げが少なくなって、経営に行き詰まったからです。もちろん「立ち退きで移転」や、「店主が高齢で引退」という場合もありますが、そういう場合はその理由をまず番一最初に説明します。そういった事情がなければ、お店が儲かっているのに閉める人はまずいません。お店を閉める理由は、これ以上続けても赤字だからです。
「老舗の○○がついに閉店」とかいう報道があると、必ずツイッターやフェイスブックで「え? すごく残念! あの名店がなくなるなんて!」なんて言う人が出てくるんですね。
そういう人たちを見ると、「それはあなたがそのお店に行かないからです」といつも伝えたくなります。本当にそのお店が魅力的なお店で、みんなが普通に利用していたら、そのお店は閉店するはずがないんです。
東京渋谷のワインバー「bar bossa」の店主・林伸次さんのコラム (https://note.com/bar_bossa/n/nceb51b56f2b7)
(バーにおいての考え方であって、「飲食店」や「食堂」すべて当てはまるとは思っていません)
確かになあ。って思いました
もしかしたら、まちの娯楽を失くしているのは自分自身なのかもしれない。
僕も、仕事柄、新しい店に行くことが多い。もちろん、お気に入りの店やよく行く店もあるのだが週に何回も通うことはできていない・・・
新しくできた店には、2回目行くまでに少し時間が空いてしまうことばかり。正直、これはかなり難しい問題だし、これが正解!みたいなこともないと思う。
でも、「どうしようもない」「答えがない」ことでも、たとえ消化不良で終わってしまったとしても「まちから食堂が消えてしまう」理由のひとつかもしれないことを改めて共有したかった。
まちの食堂を守るために
今回、この文章を書く時も、自分の立場的にこんなことを取り上げていいのか?とすごく悩みました。
でも、今の自分にできることは、今起きていることをひとりでも多くの人に共有することだと思いました。「そんなのわかっているよ!」って思う人がいたとしたら、それはそれでよかったなって思います。
飲食店のために何かしてあげる!なんてことは、なんの力もない僕にはできないことだけど。
この文章を通じて「自分の大好きなお店には、通ってあげてほしい」と伝えることやYOUNiiiiQを通じて福島の飲食店の魅了を発信することはできるのかな。なんて思いました。
最後まで、読んでくれた皆さまありがとうございました。
少し、暗い内容になってしまったのですが、3月からマスクは外せるようになったし、GW明けにはコロナも5類になります。
これからの福島のまちが飲食店から活気溢れるまちになりますように。